[造手] La Biancara / ラ・ビアンカーラ
[銘柄] So San / ソ・サン
[国] Italy / イタリア
[地域] Veneto / ヴェネト州, Vicenza / ヴィチェンツァ県
[品種] Tai rosso / タイ・ロッソ
[タイプ] 赤 / 辛口 / ミディアムボディ / SOS(酸化防止剤)無添加
[容量] 750ml
<輸入元コメント>
「Sossano(ソッサーノ)」というエリアに畑が位置していること。
「Sono Sano = 私は健康です。」という双方の意味から名付けられています。
現在「Rosso Masieri 2015」 という、比べて低価格な同造り手のワインがあるため、なかなか手にとって頂ける機会が少なく…ちょくちょく飲んで、良いなーと思ってはいたものの、先日改めて自宅で抜栓したところ「優しいなぁ。美味しいなぁ」と素直に思いまして。今回プッシュさせて頂きます!!
葡萄品種はトカイ ロッソ(タイ・ロッソ) 100%。
別名(フランス語では)グルナッシュと呼ぶと、聞き慣れている方々もいらっしゃるかもしれません。
渋みや、酸、果実の深み、熟成による丸みをおびた妖艶な要素が、高いレベルで調和が取れているようなワインではありませんが、(ブルネッロやバローロとはまた違います、という意味で。)トカイロッソの淡い果実味は、香りから飲んだ後の余韻まで、総じて五感、身体に馴染んでいく優しさを持ち合わせているなぁと。
そしてこのSo Sanで大事なことは、決して薄くないということ。ワインを飲んだ時に感じる「葡萄の強さ」ってなんだろうなぁとふと考えた時、
・太陽からくる黒々とした果実の力強さ。
・根が土地に深く深く根付き、まずは生きていくために葡萄の木自身にエネルギーをくみ上げ、そして時期をみてそのエネルギーは子孫を残すべく果実に注がれる。そんな根から果実へ注がれる土壌(=生態系?)の豊かさ、強さ。
なんてことを思ってると、So Sanの中にある力強さは、前者の恩恵はもちろん、後者の恩恵をワインとなった時により液体に反映しているのかなぁと飲みながら自分なりに思いました。
ガツンとくる濃い!ではなく、じわじわ広がっていく厚みとでも言いましょうか…
初めて会った時はそうでもなくても、話していくうちに惹かれていくような。
目を見て話すともっと引き込まれていくような。
だんだん楽しくなって、知らなかった魅力をさらに知りたくなっていくような。
このかわら版にあたり「ワイン」のこと、それと同じくらい「ワインを飲む」という行為を改めて考え直しながらSo Sanと向き合ってると、So Sanに惹きこまれていきました。
決してブレットや腐葉土のような香りはなく、円熟した香りを香らせながらも青い雰囲気も奥にはあり。また、可愛らしさの中にも落ち着いた芯も感じられます。抜栓直後は液体がボトルに閉じ込められてた、うっ血した香り(還元)のニュアンスがありますが、一瞬で解放されます。
いつもの赤ワインの温度帯よりちょっと低めで飲んで頂けたら、より伝わるかなーと。
味わいも石灰質なら口内で縦に伸びていく要素、粘土質なら口内で横に膨らんでいく要素、などと自身ではよく感じているのですが、その土地のエネルギーが詰まった強さを持ち合わせていて。
So San の土壌は粘土石灰質の土壌。双方の要素が厚みとなって感じます。
ゆっくり楽しむのもよし、しかし、一晩で飲み切りそうなくらいサクサクな飲み心地(何度も言いますが薄くはなく)です。
ある程度の熱量を持ちながらも、重心が低すぎないため、夏にも重くなりすぎないワインかと。
<ストーリー>輸入元情報より引用
いわゆる一般的な白ワインとは一線を画す、分かりやすい果実味はなく、鉱物と塩気と果実が混在した味わい&香り…。その圧倒的な飲み心地から“ワイン界のポカリスエット”の異名(?)を持つ「サッサイア」がきっかけとなり、こういうワインに興味を持ったという人は、古今を問わず、日本には本当にたっくさんいるのではないでしょうか?造り手、ラ ビアンカーラのアンジョリーノ マウレと出会ったのは会社設立2年目(ヴィナイオータは1998年設立)のことで、かれこれ17年の付き合いになります。(2015年現在)
★私達は一緒に成長してきた
アンジョリーノの奥さん、ローザマリーアはいつも「私達は一緒に成長してきたのよ。」と言ってくれます。それは、ラ ビアンカーラとヴィナイオータは同時期に、そして持ちつ持たれつの関係で、一緒に成長してきたということ。
彼のワインが飲み心地と個性を備えるようになった結果として、以前よりもワイナリーとして世間での認知度が高められ、そしてその彼の歩みと同期するように、ワインに関して多々学び、ワイン観が形成され、ヴィナイオータが進むべき道を見つけることができました。アンジョリーノが畑とセラーでドラスティックに進めてきた改変の連続の歴史は、1人の造り手から得ることは不可能な程の情報量で、それを見聞きすることができたのは、確実に今のヴィナイオータの糧となっています。アンジョリーノと出会っていなかったら、今のようなラインナップになっていたかどうか…。(怖っ!)
アンジョリーノは、ワインの中にある個性の大半は、セラーでの作業ではなく、畑(土壌、その年の天候、畑での作業のしかた…)由来であるべきだという、当然といえば当然のことを完全に分からせてくれた、恩人ともいえる人でもあります。
「森に肥料は必要ないよね?畑においても、人が多くを求めないのなら、それが有機質ものであっても、撒く必要はないのでは??ワインの世界には、テロワールという仰々しい言葉が存在し、その要素の1つに大地(土壌)由来の“滋味(地味)”も含まれるのなら、なおさらね。」本当に知り合って間もなかった頃にこんなことを言われた記憶があり、この言葉が今現在の僕のワイン観の根幹をなしていると言っても過言ではないと思います。
★生産者同士の活発な交流〜イタリアにおけるヴァン ナチュールグループの出発点
アンジョリーノは、ワイン生産の盛んな、ヴェネト州のガンベッラーラ(ソアーヴェの隣の生産地域)で生まれ育ちました。マウレ家は、ガンベッラーラという土地にありながら、ブドウ&ワイン生産に携わらない家庭だったのですが、アンジョリーノは若い頃から自らワインを造るということに憧れを抱いていました。そして若い頃働いていた工場で、奥さんのローザマリーアと知り合い、結婚し、ワイナリー創設の夢を果たすべく、2人でピッツェリアを始めます。お店は大繁盛、80年代前半から畑を買い家を建て始め、1988年、ラ ビアンカーラとして初めてボトリング。発足当初は畑でもセラーでもコンサルタントを雇っていたが、どうにもアンジョリーノは彼らのやり方が気に入らない。ブドウそのものに、大地、テロワール、ヴィンテージやブドウ品種そのものの個性を封じ込めたものをなすがままに醸したものこそがワインだと考えていたアンジョリーノに、やれあれ使え、これ入れろということばかり・・・早々に彼らとの契約を解除、全てを自らの決断で行うことにします。
とはいえ、具体的にどうすれば良いのか皆目見当もつかない・・・いろいろ思い悩んでいた時に、ヴィチェンツァの酒屋(ワインバー?)で何気なく選んで、開けたワインに衝撃を受けることになります。ミステリアスで、唯一無二の個性を放ち、惹きつけてやまないワイン・・・それはヨスコ グラヴナーのリボッラ ジャッラでした。
以降暇を見つけては、グラヴナーの住むフリウリはオスラーヴィアまで通うようになります。そこには、エディ カンテ、ラディコン、ラ・カステッラーダのベンサ兄弟、ダーリオ プリンチッチ、ヴァルテル ムレチニックなどが集い、毎回のように激論を交わし、刺激しあいながら、お互いがより自然な造りのワインを目指すようになっていきます。1990-97年頃が皆が最も足繁くグラヴナーのところに通ったそうですが、その後意見の相違から、グラヴナーのところに集まることはなくなったようですが、アンジョリーノ、ラディコン、ラ・カステッラーダ、ダーリオプリンチッチとムレチニックの交友は続き、ヴィニータリーでも共同でブースを借りるようになります。この集まりが、いま現在ではいくつか存在する、イタリアにおけるヴァン ナチュールのグループの出発点といえると思います。(自分が中心となって作ったグループを、意見の相違から2005年に脱退、2006年にヴィン ナトゥールという別のグループを結成・・・。)
★めまぐるしい挑戦
アンジョリーノは、ある時、ある人のことを褒めていたと思ったら、次の機会ではその人のことを全否定したりします。自分と同じレベルで問題意識や知ることへの渇望を持っていない人に対して辛辣で、歯に衣着せぬ発言もします。しかもその必要がない、全く利害関係のない人に対してもです。その反面、過去の自己さえも否定することを厭わず、常に知ろうとすることに対して貪欲で、興味を持ったら即実行に移し、自分の買っている人のためならどこまででも骨を折り、”伝える”ということに対して、どの造り手よりも情熱を持ち続ける人です。その結果、彼の周りには若く新しい造り手が、続々と誕生しています。そして次男、アレッサンドロは農業学校生だったときから積極的にワイナリーの仕事に関わっています。彼は見た目も温和ですが、中身もまさに草食系男子。4兄弟の中で唯一、母親似の気性と言えるかと、残り3人は親父に似て・・・(笑)。
また、アンジョリーノはワイナリーの仕事上でも、様々なことに挑戦しています。項目ごとに列挙します。
「栽培方法」
完全無施肥から、ビオディナミに切り替え、EM菌も試し、ブドウ樹に対する栄養供給の目的ではなく、地力回復、微生物叢のバランスを整えるために自家製の純植物性の完熟堆肥を、地力が弱いと判断した区画にのみ施肥。
「農薬」
当初から除草剤などの農薬は使わずに、ボルドー液(ブドウ栽培において、様々な有機農法の認証団体が唯一使用を許可している農薬)のみを使用していたが、ビオディナミ調剤を試したり、EM、様々なハーブなどから作る煎じ薬を撒いたりと、ボルドー液さえも排除した農業を目指している。
※彼の住む地域はイタリア最大の平野部、パダーナ平野に面しているため湿気が多いので病気が出やすく、ボルドー液を撒く回数を少なくすることは極めて危険。近隣の農家に比べたら、もともと撒いているうちにも入らない程度しか撒いていないにも関わらず、排除したいのだそう。
「醗酵方法」
当初はプレスして出てきたモスト(ジュース)だけを使用して、いわゆる白ワイン的な造り方をしてきたが、グラヴナーやラディコンらと共に皮ごとのアルコール醗酵を試し始める。しかし長期間の醸し(マセレーション)には疑問を持つようになり、醗酵の初期段階1〜2日間のみしか醸さないことが多かった。しかし近年はサッサイアの一部で長期間の醸しに再挑戦!
「酸化防止剤」
当初から少量しか使用していなかったが、サッサイア2002の一部を完全無添加でボトリングを始めたのを機に、いまやサッサイアは半量を無添加でボトリング。マシエリにも無添加を試し、ピーコや赤ワインなどもヴィンテージによっては完全無添加でボトリング。目標は全ワイン完全無添加。
★マシエリについて
畑は彼の家の近くにあるパーセルを中心に、標高150m近辺にあるとのこと。仕立てはグイヨ。彼の家の近くのパーセルが石(Sassi)がごろごろしていたためにSassaiaと呼ばれていて、そこからワインSassaiaを命名。そしてMasieriに使われるブドウは、Sassaiaと同じ畑のブドウで、彼が目指す完熟のレベルに達していないブドウと、Sassaiaの畑に隣接する、ペルゴラという棚仕立ての畑でとれたブドウを使用しています。棚仕立てにすると、収量はグイヨよりも見込めるが、ブドウ1房1房の凝縮性などは薄まってしまうようです。これにはもしかしたら棚仕立てのブドウの方がグイヨのブドウよりも地面からの距離があるために、太陽熱の地面からの照り返しを期待できないということもあるとアンジョリーノは言ってました。Masieriも区画の名前で、”石壁に挟まれた坂道”という意味で、実際に石壁のある急な坂道の脇に棚仕立ての畑があります。
どのワインも醗酵の初期段階は開放醗酵槽を使用し、皮や種ごと行います。彼は醸し(マセレーション)について、培養酵母も酵素も使わないで醗酵を円滑に進めるために野生酵母を有効に活用する必要があり、皮の周りについている酵母を液体に十分に移してあげるために必要な手法と考えているようです。醸しの期間ですが、特に決まりがあるわけでなく、外気温によって変わるそうです。圧搾するタイミングは、皮が炭酸ガスに押し上げられて、浮き上がってきたのを確認した時。標高が低い畑でとれるSassaiaとI Masieri用のブドウはPico用のブドウよりも早く熟し、おおよその収穫時期は9月中旬から10月始めあたり。
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