[造手] L‘Acino / ラーチノ
[銘柄] Scarpetta / スカルペッタ
[国] Italy / イタリア
[地域] Calabria / カラブリア州
[品種] Calabrese(Nero d’Avola) / カラブレーゼ(ネロ・ダーヴォラ)
[タイプ] 赤 / 辛口 / ミディアムボディ
[容量] 750ml
<銘柄エピソード:Edited by essentia>
スカルペッタは“小さなスカルパ(靴)”という意味なのですが、イタリア語で“スカルペッタをする”というと、パンでお皿に残ったソースを拭う行為を指します(ちぎったパンが“小さな靴”に見立てられている)。「fare la scarpetta」は、「パンでお皿をぬぐい綺麗にすること」を意味し、手やフォークでパンを皿に押さえつけると靴の先のように見えたことからそう呼ばれている、らしい(諸説あり)。(輸入元社長家族)オータ家では、僕が常々スカルペッタ、スカルペッタと言っているから、うちの子供たちも自然にその言葉の意味を理解し、自らその言葉を使うに至っているんだという話をしたところ、感心を通り越してほとんど感動してしまったディーノ(笑)。曰く、お皿をパンで拭うという行為は、今日あまりお上品な食べ方とは認識されていないけど、余すことなく食べるという意味では非常に大切な食のジェスチャーであり、そしてその料理を作った人に対する賛辞の表明方法でもある。そんな意味深い(イタリア語の)単語を、イタリアから遠く離れた国の子供たちが使っているだなんて・・・ディーノ、胸熱・・・という事らしいです(笑)。ですので、この名前はうちの子供たちに捧げた名前とも言えるのかもしれません・・・。
ネーロダーヴォラのワインだが、ラベルに書くと罰金なので、カラブレーゼと書いてある(世間的にはネーロ・ダーヴォラとして知られている品種を、カラーブリア州では“カラーブリアの”を意味するカラブレーゼという名前で呼ばれている)。
<栽培:Edited by essentia>
標高は海抜およそ500m、樹齢20年。(造り手に直接連絡して確認した情報)
<醸造:Edited by essentia>
野生酵母でステンレスタンク発酵。その後、岩の上で育った特別な栗の木で造られた250リットル栗樽で6〜8ヶ月熟成。(造り手に直接連絡して確認した情報)
<ストーリー:Edited by essentia>
北カラーブリアのサンマルコ・アルジェンターノという人口約7,000人の小さな村で、元々ブドウ栽培やワイン醸造の仕事に関わってこなかった若者3人によって2006年に始められたラーチノ。
カラーブリア州は東と南をイオニア海、西側をティレニア海に挟まれる形の細長い半島です。中央にはアペニン山脈が縦断しており、海岸線は600kmにも及びます。海から30−40キロで2,000m級の急峻な山岳部に達し、平野部は全州土の9%ほどしかなく、そのほとんどは海岸線にあるため、農業をする上で効率的な産地とは言えません。それでも、古代から栽培されるブドウと恵まれた気候によりワイン造りが発展し、1600年代後半に最盛期をむかえます。
しかし、第二次世界大戦後の移民政策によって多くの人々をヨーロッパ諸国や南米(1900年代初頭にはアメリカが多かった)に送り出して人口が少なくなったことが、カラーブリア州の労働力だけでなく農業文化を消失させました。1960年代に入り、人口増加に合せてイタリア全土で農薬や農業機械が一般的に普及し、広く導入されるようになり、ワインの生産量もピークをむかえます。ブドウ畑はより作業効率の高い畑が重要視され、低コストでワインが生産される産地も、南イタリアよりも平野部の多い中部や北部へ移行していきます。平野部の少ないカラーブリアのワイン造りは徐々に衰退していき、それまで雇用を担ってきた大きな協同組合ワイナリーが倒産する結果へと繋がっていきます。
ディーノが生まれ育ったコゼンツァ近辺も人口減少が激しく、昔から栽培されてきたブドウ品種や栽培方法などを知る人はほとんどおらず、自分で文献を調べるか、今でも畑を続けている高齢の栽培家に聞くことしか、彼が知りたい情報がない状態でした。しかし逆に考えると、人口が少なくなったことは、大規模農業どころか農薬を使う必要がなくなり、大量生産・大量消費を目指した工業的なプロダクトを生産する必要がなくなったことを表しています。
そうした時代背景の中、ディーノ(当時32歳)はナチュラルなワインの造り手たちの考えや生き方に感銘を受け、彼らと同じように自然に敬意を払い、自分達の土地を表現したワインが造れないかと考えワイナリーを始める決心をしました。複合的な農業が基本である彼らの地域では、一つ一つの区画が小さいことが特徴です。高齢になり必要最低限の生活をしている栽培家は小さな畑でブドウを栽培して売ってもお金にならず、その畑を売りに出しても大したお金にならない現状があり、そのまま耕作放棄されてしまうケースが多いため、まずはそのような耕作放棄されていた畑から購入。20−30年間放置されていたブドウは人間の力では元に戻すことができないため、植えられていたブドウを抜くところから始めました(現在自分たちで植えた自社畑は9ヘクタール)。
生き残っていた現役の古い樹齢のブドウを含んだ、借りている畑は計7ヘクタールあり、標高300−800mの様々な場所に点在する形で合計16ヘクタールの広さがあります。それぞれの畑の周りには色々な果樹や作物が農薬を使わずに育てられていたり、昔からのやり方の小規模な牧場があったり、林や森が人の手が加えられていない自然な姿で残されていたりと集約的な農業(同じ作物が集中して植えられている)とは無縁な環境であるため、農薬などの薬剤に頼らない彼らの農業を実践する上で理想的な環境といえます。生産量は年間40,000−45,000本ほど。畑ではボルドー液のみを使用し、セラーでも二酸化硫黄以外の添加は一切行わず、二酸化硫黄の使用量も年々減らす努力をしています。
(以上、輸入元情報を基にエッセンティアにて編集。転載の場合は必ず引用元を明記のこと)