※取り寄せ希望数を受け付ける為に、在庫6本追加。2025.08.06
[造手] De Fermo / デ・フェルモ
[銘柄] Don Carlino / ドン・カルリーノ
[国] Italy / イタリア
[地域] Abruzzo / アブルッツォ州, Pescara / ペスカーラ県
[品種] Pecorino / ペコリーノ
[タイプ] 白 / 辛口 / ミディアムボディ
[容量] 750ml
<銘柄エピソード:Edited by essentia>
ステーファノの義母の叔父にあたるカルロ叔父さんの愛称から。
<栽培:Edited by essentia>
農場の総面積は170ha(!!)、うちブドウ畑が17ha、オリーヴ畑が20ha、野菜、穀類、豆類や牧草、緑肥などが植わる輪作地が80ha。全ての畑でビオディナミを実践。ブドウに関しては、その年の最良の区画のものだけを自ら醸し、残りは全て売却。
<醸造:Edited by essentia>
収穫後、除梗せず数時間のマセレーション後バスケットプレスで圧搾、温度管理せずモストを樽ないしセメントタンクにてアルコール醗酵を行う。スラヴォニア産の500リットルのオーク製トノーでか9か月間醗酵の続きと熟成を行い、ノンフィルターでボトリング。
<ストーリー:Edited by essentia>
アブルッツォ州中部ペスカーラから西に約30km、イタリアを代表する生産者エドアルドヴァレンティーニのセラーがあるロレートアプルティーノの郊外で170ヘクタールという広大な敷地で農業を営むデフェルモ家。
ボローニャ出身のステーファノは妻エロイザの実家の敷地で、2008年から1ヘクタールの畑を借りてブドウの栽培を開始しました。初めの頃、ワインを造るのはハードルが高く、自分の理想とするセラーを造るには莫大な費用がかかるため半ば諦めていた、ステーファノ。2008、2009年の2ヴィンテージはブドウを栽培するだけで、収穫したブドウは売却していました。
ひょんなきっかけから、妻の実家の建物の一つで、誰も中を見たことがなかった扉の鍵を受け取り、54年振りにその扉が開けられると、中にはなんと昔のワインセラーが。調べてみるとこの農場は10世紀に修道士が住み着きブドウを栽培していた土地であり、1785年から義母の叔父が知られざる理由により1955年に醸造をやめるまで、デフェルモ家がこの場所でワインを造っていたことが判明。そこから、ステーファノは、2010年春に5トンのモンテプルチャーノを醸造したところから本格的なワイナリーとしての活動を始めました。
2011年にはシャルドネ、2012年からプレスしたモンテプルチャーノのモストからチェラズオーロ(ロゼ)、2013年からペコリーノの醸造をスタートし、農場全体の管理を任されることになりました。ワイン用のブドウ畑は海抜320mの粘土質土壌で広さは17ヘクタール、その年最も良かった区画のものだけを自ら醸造し、それ以外のものは売却するという贅沢な形で現在は4万本を生産しています。ワイン以外にもオリーヴオイルや豆類、小麦粉をビオディナミ農法で栽培。ワイナリーでは出来るだけシンプルな醸造を心掛け、醗酵や熟成にはセメントタンクや使い古しのトノー、スラヴォニア産の大樽を使い、清澄作業や濾過を行わずボトリングされます。酸化防止剤は、澱引きのための樽の移し替え時ないしボトリング時に最小限度の量のみ使用しています。
<取引に至るストーリー(長文):Edited by essentia>
“ワインはヒト”を信条としておりますので、地方やブドウ品種で新たな造り手を探すことのないオータではありますが、アブルッツォとその土地で伝統的に栽培されてきた品種で造るワインは、いつか扱えたらいいなと思っていたような気がします。今年の4月にアブルッツォを訪れ、ワイン&ヒトに惚れてしまった2造り手との取引を開始することにしまして、今回はその第1弾、デ フェルモからワインが届きました。このワイナリーを巡る話は、あまりにもスケールが大きく、偶然とも運命とも呼べる様々な事柄が重なっているため、善処しますが紹介文を短く収める自信がありません(笑)。
ステーファノ パペッティは、ボローニャ出身。ボローニャはヨーロッパ最古の大学(=ボローニャ大学、OBにはガリレオ、コペルニクス、ダンテなど錚々過ぎる面々が…)を擁し、古くから国際交流も盛んだったこともあり、とても開放的な町で、そこに住む人々も文化と生きる喜びを謳歌することに重きを置く気風があるそう。そんな気質のボローニャっ子は、当然のことながら食べる事にもひとかたならぬ情熱を傾けるようで、ステーファノの歴史、食べ物、ワインへの興味はほぼDNAレベルで決定されてたのでは?と本人。
お母さんの読んでいた料理雑誌に書かれているような香りが本当にするのかを確かめるべく、初めて自分でワインを買ったのが12歳の時(!!)、16歳の時から定期的に買うようになり本格的にワインを飲み始め、18歳で運転免許を取るやいなやピエモンテやトスカーナのセラー巡りを始め、ソムリエのコースにも通い始める。ステーファノ曰く
「今考えてみると、(ソムリエ学校に通ったことは)自分が好きではない世界についての基礎知識を得るのに有用だった気がするよ。そこで習う知識や概念は、まさに檻のようなもの。だけど檻の存在は、僕たちにそこから逃げ出し、より広い視野を持つことの大切さに気付かせてくれるという点から、有意とも言えるのだけどね。」
大学進学にあたって当初は歴史を専攻したかったステーファノですが、“まずは確実に食べていける職業に就ける学問を志しなさい。その後でまだ歴史を学びたいというのなら、また大学に入りなおせばいいのでは?”という親のアドバイスに従って、それほど大変でない法学(日本とイタリアが違うのか、彼が異様に賢いのか…)を専攻することにし、そこで現在の奥さんと知り合いお互いに一目惚れ、付き合うことに。
彼女がアブルッツォのペスカーラという町の出身で、一家がかなり裕福なこと、本業以外にペスカーラ郊外にブドウ畑も含めた農場を持っていることなどを徐々に知る。付き合い始めて数か月後の夏に一緒にアブルッツォを訪れるが、その時はセラー巡りをせず海のみ(笑)。付き合って4年経った年に、結婚式を現ワイナリーのあるロレート アプルティーノ(ヴァレンティーニのセラーもこの町に)で挙げるが、この時にはまだ一度も彼女の一家(デ フェルモ家)の農場を訪れたことがなかったそう。
その当時はエミディオ ぺーペとヴァレンティーニのワインを数回飲んだことがあるくらいでアブルッツォのワインに対して明確なイメージが持てなかったことと、奥さんの一家の家業に猛烈に興味がある風に思われたくなかったこと、そしてその農場の規模も小さくないこと、ブドウを自ら醸すことなく売却している事などを聞き及んでいたので、収量を上げることを目的とした棚仕立てのブドウ畑であったりと彼からしてみたら“あまり魅力的ではない”現実が待っていると想像していたことなどが、その要因なのではとステーファノ。
「実際、彼女の父親からブドウやワインの話が出たことはなくて、(より大規模に行っている)麦とかヒマワリ(油採取用?)の話ばかり。義父にとっては、農場での仕事は趣味のようなものだったんだよ。」
そこから2年ほど時が過ぎた2007年の秋、弁護士としての仕事や町での生活に疲れやストレスを感じていたステーファノに、毎週末のようにセラーやら畑やらに連れまわされるのに疲れていた奥さん(笑)が、「ステーファノ、今週末私んちの畑でも見に行かない?」と提案するのをしぶしぶ承諾することに。
「その朝に見た光景は忘れられない。(車で)起伏のある道を進んでいくと、グランサッソ(アペニン山脈で最も高い山塊で、ヨーロッパ最南端の氷河が見られる)が一望できる小高い場所で、奥さんが畑の近くだから車を停めてって言うから停めたんだ。(その眺望の美しさに)衝撃を受け過ぎて、しばらくフリーズしちゃったよ。」
グランサッソを一望できる畑
ステーファノが目にした畑は、綺麗に整備されているうえに、彼の予想に反して収量よりもブドウの品質に重きが置かれた成枝法(コルドーネ スペロナート)が採用された、総面積17ha(!)にも及ぶ自然のランドスケープをそのまま利用した起伏に富んだ(畑の真ん中あたりが最も窪んでいて、高低差は約50m)ものでした。
そこから毎週末のように畑に通うようになり、農場のちょうど真ん中あたりにある(奥さん一家の)屋敷に住む、長らくこの農場の門番のような役割を果たしてきた老人と知り合うことに。
そんなに好きならばと、2008年に義父が1haの畑を貸してくれることになり、ステーファノは本で学んだことやこれまでに訪ねてきた数々のワイナリーで聞いた経験談などをもとに栽培を手掛けることに。
「週末は自ら仕事するわけだけど、そうでない日にしなければいけない仕事に関しては“門番の老人”にこんな感じでやっておいてとお願いしていたんだけど、後になってその老人が自分の希望通りではなく、彼のやりたいようにやっていたことが判明するんだよ…。当時は、ブドウ栽培への純粋な興味や愛情だけで畑をやっていたし、自分でワインを造ることなんて全く考えていなかった。とにかくブドウ樹を、ありとあらゆる植物を観察したり、季節の流れ、移ろいの中に完全に身を置くことだったり、大地との緊密な関係を築くことが僕にとっては大事だったんだ。」
この頃にはビオディナミやシュタイナー思想の講座を受け始めたりと更に見識を深めるが、自ら醸すという踏ん切りはつけられなかったそう。
「早計な気もしたし、自分が理想とするセラーは(経済的に)実現不可能だったし、(仮に資金面でどうにかなったとしても、)地面を掘り、石で壁を仕立て、一切のテクノロジーを排した、いわゆる“前時代的な”セラーを作るのに大枚はたいていたら、みんな僕のことを頭がおかしくなったと思っただろうしね。」
2008、2009年の2ヴィンテージを、ブドウを栽培するだけで収穫したブドウを売却していたステーファノ、度々彼に嘘をつく“門番老人”と口論になり、
「鍵をうちらに返して、出てってくれ!」「ああ、出てってやるよ!」的なひと悶着の後、老人が住んでいた屋敷の住居部分ではない区画の扉の鍵を54年ぶりに(!)外し開けてみると・・・入って左側に大樽、右側に中程度のサイズの樽、そして大容量のセメントタンクがいくつかとバスケットプレスが1つとポンプが1つ…極々シンプルな設備のセラーがあるではないですか!
ステーファノの奥さんでさえ、その存在を知らなかったそう…。
2009年の10月から2010年の3月にかけてセラー内の気温と湿度を測定、冷房など一切のテクノロジーを駆使することなくワインを醸造できると確信するに至る。
屋敷内にあった書物をあたっていくと、1785年から(ステーファノの)義母の叔父にあたるドン・カルリーノ(カルロ叔父さんの愛称)が知られざる理由により1955年に醸造をやめるまで、デ・フェルモ家がそのセラーでワインを造っていたことが判明。
そして更に文献をあたっていくと、デ・フェルモ家の農場があるまさにその場所は、10世紀に修道士が住みつき、ブドウ、オリーブなどを栽培していたところだったことも…。
2010年春にセメントタンクとバスケットプレスを補修し、大樽とポンプを購入、5トンのモンテプルチャーノを醸すことからワイナリーとしての活動を開始、2011年にはシャルドネ※、2012年からプレスしたモンテプルチャーノのモストからチェラズオーロ、2013年からペコリーノの醸造も始め、農場全体の管理を任されることに。
※アブルッツォでシャルドネ??と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これまた凄い逸話がありまして…。
このシャルドネ、前述のドン・カルリーノがブルゴーニュ同様に石灰土壌の彼の畑でも面白いのではと考えて、1926年にフランスで直接買い付けた苗の末裔(?)でして、今やフランスでも珍しくなったシャルドネの古いクローンだそうで、イタリアに最も早い時期に植えられたシャルドネのひとつなのでは?とステーファノ。
ワイン名のラウネギルドは、ランゴバルド諸法(まさかメルマガ書いてて、歴史や法律の勉強をすることになるとは…)の相続権を持たない者への相続方法のひとつである譲与報奨金を意味します。
この農場が、かつてフランス人が所有していたもので、別のフランス人一家に幾ばくかの譲与報奨金で相続されていたことにちなみます。さすが弁護士、ややこしい名前を付けますね…。農場の総面積は170ha(!!)、うちブドウ畑が17ha、オリーヴ畑が20ha、野菜、穀類、豆類や牧草、緑肥などが植わる輪作地が80ha。
全ての畑でビオディナミを実践。ブドウに関しては、その年の最良の区画のものだけを自ら醸し、残りは全て売却。
醸造方法は極めてシンプルで、白とロゼ(チェラズオーロ)に関しては、収穫後房ごとバスケットプレスで圧搾、モストを樽ないしセメントタンクで醗酵させ、木樽で熟成。
コンクレーテは、4−5日間の全房醗酵(セミマセラシオンカルボニック?)を施した、果実味豊かなモンテプルチャーノ。
プロローゴ(プロローグ!)は、セメントタンクで醗酵させたモンテプルチャーノをアルコール醗酵完了後にもセメントタンク内をワインで満たすことをせずに、液面が空気に触れた状態で乳酸発酵が終わるまで放置(その間2−3か月)、その後大樽で15−18ヶ月の熟成の後のボトリング。
ノンフィルター、酸化防止剤は澱引きのための樽の移し替えの時ないしボトリング時に最小限度の量を使用するのみ。
レ・ボンチエのジョヴァンナを敬愛しているだけあって、どのワインも端正で精確、色調、香り、味わいのどの点においてもエクスキューズのない仕上がりです。
チェラズオーロとコンクレーテだけ入荷本数が少ないので、瞬殺必至です!あとひよこ豆もビックリするくらい美味しいのですので是非!
(以上、輸入元情報を基にエッセンティアにて編集。転載の場合は必ず引用元を明記のこと)