[造手] Alberto Anguissola / アルベルト アングイッソラ
[銘柄] Case Bianco / カゼ・ビアンコ
[国] イタリア
[地域] Emilia Romagna / エミリア・ロマーニャ州, Travo / トラーヴォ
パルマからミラノへ向かう中間地点、ピアチェンツァから南西に約30km
[品種] マルヴァジア, モスカート, オルトゥルーゴ, マルサンヌ
[タイプ] オレンジ / 辛口 / ミディアムボディ / SO2(酸化防止剤)無添加
[容量] 750ml

<畑・栽培>
標高:350m、土壌:粘土と石灰岩、仕立:グイヨ、樹齢:40−45年、密植率:3,000本/ha、収量:4,000kg/ha、収穫:9月10〜25日。
無化学肥料、無除草剤、(硫黄と銅を除いて)無農薬。
定期的に耕作し、畑の生物多様性を大切にしている。自然の草だけでなく、昆虫、鳥、その他の小動物などを含めて。
7月末までに、未熟なブドウを取り除き、望ましい収量と品質を達成するために「グリーンハーベスト」をすることもある。

<醸造>
野生酵母。温度管理無。8−10日間の醸し醗酵。容器はステンレスタンク。無清澄、無濾過。原則、瓶詰め時もSO2(酸化防止剤)無添加。

<造り手のストーリー>
国際的なスプレー缶製造メーカーで働く傍ら、ピアチェンツァ南西部のトラーヴォという町の郊外にある標高530-560mのカゼと呼ばれる所で、1998年に土地を購入、ブドウ樹を植えます。もともとワイン好きで、地元で圧倒的なクオリティのワインを生産するラ・ストッパの醸造と畑での責任者であるジューリオ・アルマーニ氏と親交があり、彼と一緒にワインを飲むことでワインに関する見識を広めていきます。

好きから本気に
2人で畑を借り、遊び感覚で畑仕事、自家用ワイン造りなどをしていく中で、本格的にワインを造ってみたいという情熱が湧き上がってきます。ジューリオが同じトラーヴォでも石灰質土壌の土地に様々な白の土着品種を植えたのを見て、「ジューリオ、お前が白なら俺は赤にするわ。カゼは粘土質だから黒ブドウの方が向くだろうし」とアルベルト。自身ブルゴーニュのワインが好きだということ、そして標高が高いこともあり、ピノ・ネーロを植えます。当初からテロワールとヴィンテージの個性がより反映されたワインを理想として掲げていて、畑でも自然環境へのリスペクトを払った農業を行い、セラーでも同様の哲学が貫かれます。

カゼという、彼の畑の中でもより樹齢の若いブドウや、斜面の下側の、凝縮性に欠けるブドウを使い、醸し醗酵の期間も短く取ったセカンドクラスのワインと、カゼ・リーヴァ・デル・チリエージョと呼はれる選りすぐりのブドウを、長期間の醸し醗酵を行わせて造られるワイン、の2種類を生産しています。

気さくに人懐っこく柔軟に、「どう思う?」
初ヴィンテージが2000年。その後、ブドウ樹が生産態勢に入ったため徐々に生産量も増えていきます。2009年ヴィンテージまではラ ストッパのセラーを間借りして醸造を行っていました。
2007年からヴィッラ・ファヴォリータ(アンジョリーノが主催するサロン)に参加しており、2009年にこのサロンで試飲させてもらった2004年のワインは、すごく美味しく感じました。その日の夜、サロン内での夕食会で近くに座っていたアルベルト、いきなり隣に椅子を移してきて「で、お前今日の俺のワイン、どう思った?」って聞いてくるのです。見た目と声音から、とっつきにくい人なのかと思っていただけに、少し驚いたのですが、話してみると非常に気さくで人懐っこく、柔軟な考えの持ち主で、すぐに意気投合します。

サロンの後、友人の仕事の付き添いでラ・ストッパを訪れます。そこで当主のエレナに、「そういえばヴィッラ・ファヴォリータでアルベルトのワイン試した?」と聞かれ、初めてアルベルトがラ・ストッパでワインの醸造をしていることを知ります。いただいたサンプルを日本で飲んでみたら、やはり美味しく、素晴らしく個性的・・・。すぐにメールを入れて取引がスタートしました。

心意気はそのままに微発泡
いざ彼と取引を始めて一番衝撃的だったのが、2009年の時点で下記の在庫があり、2002年以外のワインはまだほとんど売ってないというのです!

Case’ 2002
Riva del Ciliegio 2002
Riva del Ciliegio 2003
Riva del Ciliegio 2004
Riva del Ciliegio 2005
Riva del Ciliegio 2006

2000年からワインを造り始めた造り手が、2009点時点で4ヴィンテージ分も売るべきワインがある・・・。

その理由を聞くと、もちろん売れなかったから残ったというのもあるけど、まだポテンシャルの大半が眠ったままのような、閉じているワインを売ることに積極的になれなかったというのが主な理由だという。実際に、この時点での2004年は非常に美味しかったですが、他のヴィンテージはまだ若干硬かったです。

いざワイナリーを始めて、ワインも仕込んで、ボトリングして、売ろうと思ったら、高いポテンシャルがあるのは分かっていても硬く、閉じているワイン。どんどんヴィンテージも溜まり・・・2007年、いよいよ経済的なピンチを迎え、アルベルトは考えました。あと1〜2年耐えられれば、2003〜06のワインも1つ1つ飲み頃を迎えるのではと。そこで、2007年ヴィンテージは地場消費を目論んだワインを造ります。

このあたりの食事はとてもしっかりこってりしているので、白も赤も微発泡性のワインを飲む習慣があり、アルベルトもピノ・ネーロのフリッザンテ(微発泡)を造る事にしたのです。当然のことながら、自然な瓶内2次醗酵によるフリッザンテです。収穫の翌春にボトリング、6-7月頃から商品化できますので、コストの回収が早くできるというメリットもありました。そしたらこのワインが、カゼから最も近いトラットリアで大ブレイク!生産量のほとんどを一軒のトラットリアが消費してしまいます。

2008年も同様にフリッザンテを生産します。この2ヴィンテージを乗り切ったことで、再び余裕が出てきたので、本来の自分がやりたかったスタイルに戻すことにします。とはいえ、2006年以前のヴィンテージのように、開くのに時間がかかるようでは同じことの繰り返しになるので、若干醸しの期間を短くし、ワイン自体が還元的な状態でない時にボトリングするようにしました。

造り手の良心に思い馳せる
どの造り手も、その瞬間のベストを尽くしてワインを造るわけですが、それが常に”点”を目指すことではないということが、彼の2007、2008のエピソードからも知ることができるのではないでしょうか。
もちろん一切の妥協を排して、点を目指す造り手もいます。両者のどちらの方が良いとか正しいという問題ではありません。土地(風土、土壌、気候)の個性、ブドウの個性、年どしの個性を、最大限に反映させたワインを表現しようとした時に、畑やセラーで人の手で行われる作業は必要最小限であるべきだと思うのですが、その“必要最小限”は造り手個々の”自由度”に委ねられるべきで、その自由度は個々の不自由さ(しがらみ、状況など)によって、差があっても良いものなのではないでしょうか。
つまり自由なワインとは、造り手が自分の置かれている状況を加味した上で、できるだけ自由であろうとした痕跡が感じられる、人の良心が見え隠れするワインということになるのだと思います。私たち飲み手側として、彼らの置かれていた状況に対してほんの少しでも想像力を持てた時、良し悪しというレベルでものを語れなくなるのではないでしょうか。

兼業農家としてワイナリーを運営していたアルベルト、2012年に職を辞し、ワイン生産だけで生活していくと決意します。2012年に新しく畑を作り、1haのピノ・ネーロを植えたのですが、この畑のブドウが生産態勢に入るのはまだ数年先・・・。当面の生産本数を増やすのと、伝統品種によるワインも造ってみたいと考えたアルベルト、近くに後継者に恵まれずに栽培放棄されそうになっていた高樹齢の樹が植わる区画を借り始めます。赤品種はバルベーラとボナルダで樹齢50年以上、白品種はマルヴァジーア、モスカート、オルトゥルーゴ、マルサンヌで樹齢40年以上にもなり、品質の良いブドウが獲れるのに放って置くのはもったいないというのもありますが、それ以上に高樹齢の樹を人が手をかけつつ維持すること自体が文化継承(の望みをつなぐこと)になるという思いがあったのだと思います。
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