Bartolo Mascarello / バルトロ・マスカレッロ

■輸入元A社より

バローロなどを醸造する小規模生産者ですが、イタリアでは誰でも知っていて、有名メーカーも尊敬しているトラディショナルな造り手。ワインの品質に関しては、トップ格の評価を受けています。発酵の温度管理をせず、まったくバリックを使用しない伝統的手法を採るこの様なメーカーは、今では片手で数えられる程しか存在していません。 毎日2回のルモンタージュ。セメントタンクにて温度調整無しに15-20日間発酵。3年間ボッテにて熟成。スーティラージュは2回のみ。ブドウの出来の悪い年には徹底的に選果を行ないます。そのため生産量は少なくなります。2002年は不作でバローロは生産していません。現在は娘のマリア・テレーザさんがブドウ栽培から醸造までを担当していますが、バルトーロ氏のワイン造りに対する姿勢は、数多くの若い造り手に今もなお大きな影響を与えています。新しいヴィンテージにはピエモンテのワイン法改定の為、畑名が表記できなくなりましたが、マスカレッロのワインは何も変わってはいません。

 

■輸入元B社より

先代バルトロの祖父バルトロメオ マスカレッロから、父ジュリオ、バルトロ、そして一人娘で現当主のマリアテレーザと4世代に渡り受け継がれてきたワイナリー。州都トリノから南東に約55km、クーネオ県東部の山間部にあるバローロの中心地バローロ村に位置しています。バルトロは、バローロの歴史を献身的に守り続けてきた伝統主義者で、ジュゼッペ・クインタレッリやエドアルド・ヴァレンティーニ、ヨスコ・グラヴネルらと共に、12 padre del vino italiano(12人のイタリアワインの父)に選出されるなどイタリアワインの礎を築いた功績は世界的に知られています。

ルーツは19世紀にまで遡り、マスカレッロ家はブドウを生産し近隣の大規模なワイン生産者に販売していました。バルトロメオは“バローロ協同組合ワイナリー”という小規模組織を設立し、そこの醸造責任者を担っていました(後に閉鎖)。1918年、第一次世界大戦から帰還した息子のジュリオが故郷バローロに戻り、カンヌビ、ルエ、サン・ロレンツォと、ラ・モッラにあるロッケ・デル・アンヌンツィアータの小さな4つの畑(約5ha)を購入しワイナリーを設立しました。セメントタンクで長時間のマセレーションの後、使い古しのスラヴォニア産オークの大樽で長期間熟成させるランゲ地方の伝統的な醸造方法で、1919年からバローロの生産を開始しました。

1960年代に、ジュリオの息子で元パルチザン、バローロ村長でもあったバルトロが、父の仕事を引き継ぎ、60年代から70年代にかけて他のバローロの生産者たちが単一畑(シングル・クリュ)のワインを造り始めましたが、バルトロは、4つの畑から収穫したネッビオーロでの醸造を続けました。1981年にジュリオが他界し、80年代後半から90年代にかけて、多くの若い生産者たちによってフレンチオークの新小樽で熟成する手法が流行しますが、バルトロは伝統を重んじる精神から反対の意思をいち早く表明し、テオバルド・カッペッラーノやジュゼッペ・リナルディらと共に、バローロの伝統的な考えを変えることなく後世に伝えてきました。

マリアテレーザは、年老いていく両親(当時60代)の姿に一人娘である自分に責任を感じ、1993年から仕事を手伝い始めます。1990年代後半になるとバルトロの健康が衰え始めてしまい、マリアテレーザは2004年までに全ての仕事の責任を引き受けるようになります。翌年(2005年3月)にバルトロは78歳で他界してしまいますが、バルトロの教えを一身に受けたマリアテレーザ(当時38歳)のファーストヴィンテージは、ワイン評論家や専門誌からも高い評価を受け、称賛されてのデビューとなりました。自社畑の完熟したブドウのみを使用し、伝統的な手法に則った醸造方法を断固として守りつつ、可能な限り改良を加えながら、伝統に洗練を重ねてゆくアプローチはバルトロと同じで、持続可能な農業の強力な推進者として、情熱を持って一族の伝統を受け継いでいます。

2015年からはモンロビオーロ・ディ・ブッシアにも畑を借り、総面積は約5.5ha、ブドウの平均樹齢は50年、年間約3万本のワインを生産しています。

(以上、輸入元情報を元に、エッセンティアで一部修正)

バルトロ・マスカレッロ

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