[造手] La Castellada / ラ・カステッラーダ
[銘柄] VRH / VRH(ヴルフ)
[国] Italy / イタリア
[地域] フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州 / Friuli Venezia Giulia
[品種] Chardonnay,Sauvignon / シャルドネ、ソーヴィニヨン
[タイプ] オレンジ / 辛口 / ミディアムボディ
[容量] 750ml
<ストーリー>
トラディショナルからの発展
ラ・カステッラーダのニコロ・ベンサ(通称ニーコ)は知識の宝庫にして、自分のワインにも他人のワインにも非常にシニカルで、だけど彼なりのブレない審美眼を持ち合わせていて、そしてお茶目。非常に礼儀正しく、理知的で論理的に物を説明することにも長けているが、いちど熱くなると止まらないニーコ。
お父さんが経営していたトラットリア用のワインを仕込んでいたニーコ&ジョルジョ ベンサ兄弟は1985年からボトリングを開始します。近所にグラヴネルやラディコン、ちょっと離れたところでエディ カンテやアンジョリーノなど、刺激し合える相手にも恵まれ、テロワール、ブドウの個性、年の個性、そして造り手の個性(思い)を最大限に反映したワインを目指し切磋琢磨してゆきます。
“トラディショナルなワイン” などと聞くと、私たち日本人的には、伝統的というくらいだから、昔の農民がやっていたような造りをしたワインのことなのかな、などと思ってしまいますが、ニーコ、ラディコン、ダーリオ プリンチッチなどが指す、”トラディショナルな(白)ワイン” とは、培養酵母を使用して、温度管理をしながら、モストのみで醗酵させ、酸化防止剤をたくさん添加し、目の細かいフィルターにかけてボトリングをしたもの。
1985年当時は彼らがいうところの “トラディショナルな造り” こそ、クオリティ白ワインの生産方法であり、いまや伝統を飛び越えて古代の造りにまで回帰しているグラヴネルを含む彼らでさえ、良いワインを造るために必要なことだと考えていたのです。
そこから現在までに彼らが辿った、醸造に関する考えの変遷は、本当にドラスティックなものがあります。もちろん造り手各々で多少の前後はありますが、概ね以下のように変遷していきます。
ニーコのプロとしての矜持
1985年当時:ステンレスタンクで、培養酵母を添加して、温度管理をしながらの醗酵
1980年代後半-90年代前半:樽内でのアルコール醗酵&熟成を採用、それにより醗酵中の温度管理ができなくなり、醗酵温度が高くなり、温度が高いので野生酵母だけでも十分に醗酵を円滑に進められるので、培養酵母の添加をやめる。リッチな風味を付けるために、皆こぞって新樽を使用するように。
1995年:白ワイン生産にも醸し醗酵(皮や種ごとの醗酵)を始める。新樽に対して懐疑的になり、大樽を導入し始める。
1997年以降:グラヴネルやラディコンはアルコール醗酵の全工程を木製の開放醗酵槽で皮ごと行うようになる。グラヴネルはアンフォラでの醸造を実験的に開始。ラディコンは1999年、一部のワインを酸化防止剤無添加でボトリング、2002年以降は全てのワインを無添加でリリース。
この間、より凝縮したブドウを得るために畑では植樹密度を上げ、単位面積当たりの収量を約半分にまで落としていきます。化学肥料の使用もやめ、ボルドー液以外の農薬を使わず、草生栽培を実践します。
この過程の中で、常に白か黒というようなラディカルな選択をしてきたグラヴネルやラディコンに対し、ニーコというよりもラ カステッラーダというワイナリーは、牛歩戦術とでもいうのか、小さく確実にひとつひとつ歩を進めてきた観があります。
ニーコ自身、自分のワインにはエレガンスを求める傾向があり、ラディコンのように野性味溢れるワインを個人的には認めつつ(好んで飲みつつ)も、自分のスタイルではないと考え、なおかつカステッラーダのワインを毎年買うお客さんが彼らのワインに期待、イメージするものから大きく逸脱したものは造るべきではないというプロとしての矜持みたいなものも持っているように感じます。
白の醸し醗酵に関しても、一部にやるだけで全量にやるわけではなかったり、その期間も短いことなど、何人かの造り手からしてみたら、どっちつかずだとか中途半端だと言われてしまい、ニーコ自身もそう言われている事を自覚しながらもゆっくりと前に進み…。
この醸しに関して現在では、
・長い期間の醸しはブドウの品質が本当に良い年のみに許される
・アロマティックな品種に関しては、苦味が出てしまうため、良い年であっても長い醸しに向かない
という考えに至っています。
(輸入元資料より引用)
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