テルモ・ロドリゲス / エメ・エレ 2019

G025

3,200円(税込3,520円)

[造手] Termo Rodriguez / テルモ・ロドリゲス
[銘柄] MR / エメ・エレ
[原産国] Spain / スペイン
[地域] Malaga / マラガ
[品種] Muscat of Alexandria / マスカット・オブ・アレクサンドリア
[タイプ] 白 / 甘口 / ミディアムボディ
[容量] 500ml

<輸入元コメント>
マラガのコンペタ村の伝統的甘口ワインの伝統に従った贅沢なワイン。遅摘み。
標高 550‐1300m の荒廃した畑を復活させた。古生代の片岩から成る小石が多く、きめの細かいシスト土壌。完熟前の酸度の高い状態で収穫。伝統的ペタロの上で乾燥させるが、フレッシュさ酸度を確保し、酸化から守るために 10 日程度で選果を厳しく行う。ワインはフレッシュな酸を持ち、甘いだけでなく飲み心地の良いもの。

<ストーリー>
【スペインワイン界の革命児】
スペイン最高の醸造家と言われるまでに成長したテルモ・ロドリゲス。この 30 年のスペイ
ンワインの進化の中心でした。そんなテルモのゴールはスペイン各地の土着品種の復活
とリオハ本来の味わいを取り戻す事。テルモの言う本来の味わいは 18世紀、小さな造り手が各村のテロワールを活かしてワインを造っていた時代の事を指しています。
1962 年、テルモはビルバオの近郊、イルンに生まれます。実家はリオハを代表する名門ボデガ「レメリュリ」でした。幼い頃からワイン文化に触れ、ビルバオ大学を卒業後、ボルドー大学醸造学部に進学。ここでパートナー、パブロと出会います。卒業後、テルモは「コス・デストゥルネル」、パブロは「シャトー・ペトリュス」で研修。その後、テルモはスペインに気候も土壌も近い南仏に移動。「トレヴァロン」のエロイ・デュルバック、「ジャン・ルイ・シャーヴ」のジェラール・シャーヴと働き、ワイン造りではなく、葡萄造りを学んでいきます。
1989 年、実家のレメリュリに戻りますが、考え方を異にする父ハイメと対立。実家を飛び出し、1994 年、パブロと共に「コンパニア・デ・ビノス・テルモ・ロドリゲス」を設立し、早々と独立を果たしてしまいます。

【ボルドーで気付いたスペインの独自性】
ボルドーでのワイン醸造と一流シャトーでの経験がテルモにスペインの独自性を気付かせます。独立後、葡萄畑の視察にスペイン各地を旅すると、その地方に伝わる伝統的ワイン造りと土着品種、テロワールが密接に結びついている事に驚かされます。リオハだけではなくスペイン各地に独自のワイン文化、品種、醸造技術が存在したのです。
当時のスペインは世界的モダン化の波に襲われ、古い土着品種の樹が抜かれ、国際品種に植え替えられていました。自分の故郷であるスペインのテロワールと自然と結び付き、地域毎に残ってきた土着品種の個性を国際品種の生産効率で消し去っていく事に違和感を持ったテルモは各地の古い土着品種の畑を復活させる事を目指します。
最初の挑戦はナヴァーラの外れにあるサダ村でした。カベルネとメルローに植え替えられていく中、サダ村に残っていたガルナッチャの古い畑を再生し、当時不人気だったガルナッチャの独特の個性に光を当てます。その後もマラガ、トロ、リベラ・デル・ドゥエロと各地の古い葡萄畑を再生し、土着品種の個性に光を当て復活させていったのです。

【村のワインが理想】
そして、1998 年、遂にテルモはリオハへと戻ってきます。テルモはリオハの現在のワイン造りとは違い、プエブロ(村)のワインでテロワールの表現を目指しますが、当時の法規ではリオハでは村名や畑名をエチケットに記入する事は許されていませんでした。いまだに大きなワイナリーのブランドと熟成期間に応じた階級に縛られていたのです。2 年以上をかけて、この法規を変え、村や畑の重要性を訴えていきます。
しかし、特に有名産地であるリオハでは1850年代までには地方性や土着品種、テロワールを重視したワイン造りは消え去っており、各村独自のワイン文化の復活は困難を極めました。ボデガ「ランザガ」ではリオハのテロワールの復活を目指し、ブルゴーニュのように村、そして単一畑のテロワール表現を目指したワイン造りを行っています。2010 年には実家の「レメリュリ」にも復帰。古めかしいリオハのワイン文化を変え、世界に向けてその独自性を発信し続けています。

(輸入元情報より引用)

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