[造手] Matunei / マトゥネイ
[銘柄] Bagardo / バガルド
[国] Italy / イタリア
[地域] Piemonte / ピエモンテ州
[品種] Nebbiolo / ネッビオーロ
[タイプ] 赤 / 辛口 / ミディアムボディ
[容量] 750ml
<輸入元コメント>
ネッビオーロ100%で造られるコストパフォーマンスの高いキュヴェ 。
<畑・栽培>
畑は、アルフィアーノ・ナッタ村にあります。栽培面積は約3haで地質は 粘土石灰岩。5つの異なる区画に分かれています。地場品種のグリニョリーノとフレイザ、バルベーラ、ネッビオーロを栽培しています。栽培はビオロジックで合成化学物質や除草剤などは一切使用しません。ビオディナミの手法も取り入れており、将来的にはビオディナミへの 移行する計画です。畑作業は全て手作業で、四季と自然のリズムに応じて行われていま す。
<醸造>
手摘みで収穫したブドウを完全に除梗して、ステンレスタンクで野生酵母のみで自発的に発酵させる。SO2や酵素、培養酵母、酒石酸、濃縮物、矯正剤、安定剤、その他の醸造添加物は一切付け加えずに醸造する。果皮浸漬の期間は2週間前後。この間、1日1回の櫂入れを行う。ポンピングオーバーは行わない。アルコール発酵終了後、大樽1/2、ステンレスタンク1/2でマロラクティック発酵と熟成。収穫翌年の8月に無清澄・ノン・フィルター、SO2無添加で瓶詰め。
2018ヴィンテージの生産量は 3,940本。2020年10月末時点のSO2トータルは14mg/l。
<ストーリー>
マトゥネイは2015年に誕生した小さなファーム(農園)です。ブドウの他に、オリーヴオイルや古代小麦やライ麦などを栽培しています。Alberto Brignolo アルベルト・ブリニョーロと 妻のCarlaカルラは、四季の移ろいの中で仕事と人間が密接に絡み合っていた古来の仕事を通して、現代人が忘れてしまった人生の瞬間を取り戻しながら、持続可能な農業の 新しい形態を再発見したいという想いから、それまでしていた仕事を辞めて、人口100人に 満たない小さな村 Alfiano Natta アルフィアーノ・ナッタのカルドナの丘の耕作放棄地と古いブドウ畑を引き継いで、アジエンダ・アグリコーラ・マトゥネイを設立しました。
2015年にこの農園を設立する前、アルベルトは農業コンサルタントの会社に勤めていて、 地元の幾つかの農場のコンサルタントや財務を担当していました。妻のカルラは、途上国の 国々での開発プロジェクトを支援するトリノの非営利団体で働いていました。主にコミュニケ ーションやグラフィックス、募金活動、イベント活動などを担当していました。
日本でも若者の農村から都会への流出や農業を継ぐ若者の数が減少していることが社 会問題になっていますが、アルベルトとカルラは、若者達が活躍できる明るい未来が農業に もあるんだということ、そして「農業って楽しい!」って感じてもらいたいと思い、地元の複数 の農家と一緒に農業ネットワークを作りました。そして、ワインやエクストラ・ヴァージン・オリーブオイル、古代小麦、ライ麦などを生産・直売しています。また、子供や青少年のために、 昔の農村の文化や仕事を再発見するための教育ワークショップや郷土料理の教室、試食会などを開催しています。
マトゥネイとはピエモンテの方言で「少年」を意味します。これは、地元で農業で働く若者を年配者が愛情を込めて呼ぶ時に使われる表現です。アルベルトとカルラはこの村に来た時に、地元の文化や歴史、農業、畑のことについて知るために、地元の年配者達を尋ねて回りました。ほどなく彼らはアルベルトとカルラを愛情を込めて「マトゥネイ」と呼ぶようになっ たのです。この名前は、若い世代を示す言葉ではあると同時に年⾧者とも繋がった言葉で あること。また、先人達と交流して過去の経験や歴史から学ぶことを知っている若い世代という意味も込められているということ。そして、新しい考えと同じくらいルーツも大切であるこということ。このようなことから、二人は農場の名前を「マトゥネイ」と命名したのです。
二人がワイン造りを始めたのは、数多くの偶然(あるいは今となっては運命であったのかもしれません)が重なったからでした。そもそもアルベルトはワインの世界で働こうとは全く思っていませんでした。なぜなら、農業コンサルタントの会社で働いていた時、ワインの世界が化学薬品まみれであること、そして、ワインが自然の産物ではなく、錬金術師の産物になってしまっていることに気付いたからです。ところが2013年に地元に引っ越して来て購入した自宅の隣に、偶然ナチュラルワイン造りをしている生産者の醸造所があったのです。彼は薬剤師でしたが、情熱が高じてナチュラルな方法でブドウを醸造していたのです。アルベルトとカルラが地元で初めて交流を持ったのが彼だったのです。
(輸入元情報より引用)
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