Poderi Aldo Conterno / ポデーリ・アルド・コンテルノ
バローロ全生産者の頂点に君臨するワイナリーの一つ、アルド・コンテルノ
創設年:1969年
創設者:アルド・コンテルノ(1931-2012)
<前提>
現在、バローロには星の数ほど生産者が存在しているが、味わいの違いを理解するには、エリアで区別する前に、ワインのスタイルで分けられる。
伝統派(古典派)、中間派、現代派(モダン)、の3区分である。
伝統派の三大巨匠は、「ジャコモ・コンテルノ」「
バルトロ・マスカレッロ」「ブルーノ・ジャコーザ」という声が多い。
また、これらに加えて、伝統派で、私YKTが個人的に好きな造り手は、「
ジュゼッペ・マスカレッロ」「
ジュゼッペ・リナルディ」である。
一方、アルド・コンテルノは中間派に分類される。
「古典派の範疇に入るが、守旧派にはならず、かといってバリックを使うと言った過激な逸脱は決してしなかった、いわば新古典派の代表。絶妙はバランスを実現した彼のセンスと技術は敬服すべきもので、ゆえに彼のバローロは、古くからのバローロ・ファンと新しい世代の双方から評価される稀有な存在となった。(「イタリアワイン・スタンダード100」より)
<歴史>
[1931年]18世紀からの歴史を誇るワイナリー「ジャコモ・コンテルノ」の4代目であるジャコモの次男としてアルドが生まれる。
[1954年]アルドは23歳でアメリカ・カリフォルニアへ渡る。米国のイタリア人としての兵役義務を果たすため、朝鮮戦争で米兵として戦った。伯父とともにワイン造り、およびワイン貿易の経験を積む。
[1959年]アルド、イタリアへ帰国。父と兄のワイン造りを手伝う。
[1961年]ジャコモは、ワイナリーを長男のジョヴァンニに継がせる。
[1969年]アルドは兄と一緒にワインを造るのではなく、自らの名前でワインを造りたいと考え、ジャコモ・コンテルノの半分のワインを相続して独立。実家から4kmほど離れた、バローロの代表的産地であるモンフォルテ・ダルバ村のブッシア地区にある、農園ファヴォットを購入し、ワイナリー「ポデーリ・アルド・コンテルノ」を立ち上げる。
[2012年]享年81歳でその生涯を閉じ、3人の息子、フランコ、ステファーノ、ジャコモが相続。
<ワイン・アドヴォケート誌#237 2018年6月号:モニカ・ラーナー著>
ポデーリ・アルド・コンテルノは、2012年に先代のアルド・コンテルノが享年81歳でその生涯を閉じてから大きな発展を遂げつつある。現在ワイナリーの運営は、アルドの 3人の息子たち(フランコ、ステファーノ、ジャコモ)が担っている。今年ランゲを訪れた際、ジャコモ・コンテルノとじっくりと語り合う機会に恵まれ、父アルドが築き上げた偉業とワイナリーの現在について省察することが出来た。故アルド・コンテルノが自らのワイン作りにおいて頂点を極めた1990年代、モンフォルテ・ダルバでワイン作りを営むワイナリーの数は、まだごく少数であった。現在では、およそ70もの生産者と瓶詰業者がかの土地でワインを詰めている。「
新たな生産者がまるで茸が生えるように次から次へと参入してきていて、これがモンフォルテ・ダルバでのワイン作りを省みるきっかけになった」「
カンティーナで生産することの出来るワインの生産量が年間50万本に達したとしても、実際の生産量が年間8万本を上回らないようにしようとこの時に固く決意した」「
厳しい選果と収量制限を守ることが父アルドの偉業を受け継いでいくために取るべき最も妥当な道である」とジャコモは語ってくれた。父アルドがカンティーナの運営を息子たちに引き継ぐ時、たった三言こんな言葉を残したとジャコモは郷愁の念を込めて語った。「
Fatemi bere bene(ファーテミ・ベーレ・ベーネ:良いものを飲ませてくれ)」。これ以上の言葉は必要なかった。