エツィオ・チェッルーティ / ソル・パッシート・ディ・モスカート375mL 2015 型番 G060 販売価格 4,700円(税込5,170円) 在庫数 残り3 購入数 特定商取引法に基づく表記 (返品など) [造手] Ezio Cerruti / エツィオ・チェッルーティ [銘柄] Sol Passito di Moscato / ソル・パッシート・ディ・モスカート [国] Italy / イタリア [地域] Piemonte / ピエモンテ州 [品種] Moscato / モスカート [タイプ] 白 / 甘口 / ミディアムボディ [容量] 375ml <銘柄エピソード:Edited by essentia> 今でこそスティルワインやフリッザンテも造っているが、「ソル」はワイナリーとしての創業当時、唯一造っていたパッシート。 <栽培:Edited by essentia> 標高350mに9つに点在する畑は現在6.5ヘクタールの広さがあり、ボルドー液以外の薬剤を使用せずブドウを栽培。 <醸造:Edited by essentia> 収穫時、一部のブドウは枝にハサミを入れたあとワイヤーで枝に括り付けたままの状態で約2ヶ月間天日干しの状態にする。その間、雨風の影響も受けるため天日干し後の状態もヴィンテージによってさまざま。除梗と圧搾後モストを直接木樽に入れ、酵母や二酸化硫黄を添加せずに約1年間醗酵と熟成。その後1000〜1200リットルの大樽か225〜500リットルの使い古しの小樽にて少なくとも3年間熟成。 <ストーリー:Edited by essentia> 【2023/07/04版】 アルバから北西に直線距離で10km、アスティ・スプマンテ、モスカート・ダスティの心臓部といえるカスティリオーネ・ティネッラにあるエツィオ・チェッルーティ。チェッルーティ家は、19世紀初頭からこの土地でモスカートを栽培し、ワインの生産を行ってきました。 1982年にワイナリーを引き継いだエツィオでしたが、子供の頃に見ていたこの地域のワイン造りに失望していたこともあって地元を離れていました。しかし、出来る限りナチュラルな手法でワインを仕込む造り手たちと出会い、その自然との向き合い方、共に生きる人間の姿に心を打たれ、地元に戻ることを決めます。1996年から友人たちと共に立ち上げた協同組合ワイナリーを運営しながら、自ら栽培したブドウをそのワイナリーに売りつつ、自然なアプローチでの実験的な醸造に明け暮れたエツィオ。2001年よりとうとう自らのワインを造り始めます。栽培するのはモスカートのみ、醸造するのは白の極甘口パッシートのみという極端な形でスタートを切りました。 標高350mに9つに点在する畑は現在6.5ヘクタールの広さがあり、ボルドー液以外の薬剤を使用せずブドウを栽培しています。 【2016年4月版】 伝統的に高品質のモスカートを産する土地として有名だった、カスティリオーネ・ティネッラにあるエツィオ・チェッルーティの始めたワイナリー。2001年からワイン生産を開始。それまでは町にある協同組合ワイナリーで働く一方で、生産したブドウもそのワイナリーに売っていた。6ヘクタールの畑を1人で耕作し、モスカートのみを栽培している。ボルドー液以外の農薬は一切用いない有機農業を実践。8月の下旬から9月の上旬、モスカートが完熟する頃、ブドウのついた枝をブドウ樹から切り離すための剪定を行い、そのまま畑の中で雨風にさらされる状態でブドウを乾燥させ、約2ヶ月後に収穫を行う。除梗し、圧搾して出たモストは樽へと直接入れられ、培養酵母、二酸化硫黄ともに全く添加しない状態で、2年の歳月をかけゆっくりと醗酵させる。ボトリング前に若干量の二酸化硫黄を添加、ノンフィルターでボトリング。2004年は3500本生産。 畑を見せてもらった時の彼のひと言目が面白かった。畑のパノラマが広がる景色に手を広げながら、 “まずは、ピエモンテで一番除草剤の使用量の多い地域へようこそ!” 実際、彼の住むカスティリオーネ・ティネッラは、モスカート・ダスティ、アスティ・スプマンテ用のモスカートを生産する地域で、これらのワイン自体、イタリアワイン全体の中でも最も工業的に生産されているワインと言え、それに使われるブドウも多かろう良かろうという考えのもとで生産されている。より多くの収量を得るために大量の化学肥料が投入され、除草の手間を省くための除草剤、雨がちの年でも見た目的に完璧なブドウを作るために防カビ剤が使用されている。伝統的にはこの町の辺りでは良質なモスカートが生産されていたそうだが、今となっては見る影もない。 遠くの方の畑を指差して、“あっちの畑でどこが僕の畑か分かるかい?”と聞いてきた。もちろん分かりますとも、あの真緑に見える畑でしょ。他の畑は春なのに雑草の色が赤茶色(除草剤をかけられた雑草は赤に近い茶色をしていて、自然に枯れた時の色とは全く異なる)してますもん、と答えたら彼ニヤリ。 畑仕事が遅れ気味で、本当ならトラクターで耡っちゃい(耡うと書くようです)たいんだけど、あんまりにもタンポポが見事に咲いてるからできないんだよねー、とエツィオ。畝が野菜畑になっている。ルーコラにいたってはそこらへんに有難味無く生えている。彼は除草剤などは使わずに6ヘクタールの畑を1人で維持しているそうで、農繁期は1日中畑に出ていて家にいることはまずないとのこと。彼のパッシートの造り方も説明してもらった。 9月中旬、モスカートが完熟する頃、上の写真一番手前の樹でいうと、一番右のタンポポで見えづらくなっている葉っぱとその左隣の葉っぱの真ん中辺りを切ってしまう。切られた枝の方も蔓が針金に絡まっているので落ちることはない。その状態で、1ヶ月そのまま放置して天日干しにする。そのブドウをセラーに持ち込み、プレスし、モストを使い古しのバリックに入れ、あとはそのままモストのしたいようにさせる。当然培養酵母も使わず、醗酵・熟成段階には二酸化硫黄も添加しないし温度管理も行わない。約2年の熟成の後、若干量の二酸化硫黄を添加してボトリング。以上、実にシンプル。 それまでもブドウ生産、ワイン造りはやってきていたが、2001年が自身のワイナリーとしてのファーストヴィンテージ、2002年は多雨だったため全く生産せず全てのブドウを大きなワイナリーに売却したということで、僕が飲んだ2003年はなんと2ヴィンテージ目にあたる。何たる完成度!家に戻り、2001、2003と前の日ボトリングしたという2004を飲ませてもらう。なるほど、トリンケーロが2001を絶賛していた訳も分かった。アンジョリーノの良年のレチョートに通じる、甘いが甘すぎないというか、甘いのに辛口のワインに感じる雰囲気を感じるというか…。本人も言っていたが、2004年は2001年にタイプとしては似てるかも。とても気に入ったので、その場でオーダーしてしまいました。彼の生産量の2割に当たる600本! 飲みながらいろいろな話をした。趣味、造り手の友達、好きなワイン等など。ザ・クラシック・バロリスタ、ジュゼッペ・リナルディやカッペッラーノなどと親交が深く、特にリナルディとは一緒にバイクでツーリングに行ったり、会っては音楽や本の話をしたりするそうで、収穫とかも手伝ったりするそうです(彼の収穫時期と重ならない時があるので可能)。彼自身、ネッビオーロを愛してやまず、できることなら将来バローロを造ってみたいって言っていました。うーん、気持ちわかるなぁ、とますます意気投合。再び彼の造るパッシートの話に戻った時、彼が、“実はいちパッシートの造り手として、挑戦してみたいブドウ品種があるんだよね”。まままままさか、リから始まるあれですか?と僕。“そう、リースリングだよ。”と彼。 おーーーっと、リースリングといえば、僕は“ところでシュレールって知ってる?”って聞いたら、彼のリビングに唯一飾ってあったボトルがこれだ!シュレールのゲヴュルツトラミナーS.G.N.の1989でした!!こうして僕達は完全に分かり合ったのであった。 セラーに行って、2005年、2006年のパッシートを飲ませてもらう。2006年は面白いことをしていて、貴腐の付いたブドウはそれだけを集めて1つの樽で醸造していた。普通に干されたブドウからできたパッシートとは味わいの面でも大きく違い興味深かった。それ以外に飲ませてもらった、彼の友達が作るソーヴィニョンとセミヨンを貰って、ちょっとだけ造ったという白(サッサイア級の飲み心地)、その友達に無理矢理造らせたというカベルネ・フランのキナートも飲ませてもらう。このキナート、糖分を全く添加していないので当然辛口で、飲みづらいかと思いきや、ベタ甘よりはなんぼか素敵な飲み心地があった。ちょっとカルチャーショックな味覚体験だった。 彼がカッペッラーノから聞いた話によると、昔はモスカートでもキナートを造っていたそうで、いつか彼も造ってみたいって言っていた。それ以外にも、まっとうなモスカート・ダスティを造る事にも挑戦したいという話をしていたので、きっと彼が造りたいワインに最も近いものといえば、イル・ブォンヴィチーノのTazioだと考え、ロレンツォ・コリーノとイザベッラの事を彼に話したら、なんとロレンツォの弟とはすごく仲が良いということで今度ロレンツォを訪ねてみるとの事。いやー、自分が認める人たちが仲良くなったりしてくのを見るのは痛快です。 (以上、輸入元情報を基にエッセンティアにて編集。転載の場合は必ず引用元を明記のこと) この商品について問い合わせる この商品を友達に教える 買い物を続ける ツイート